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取材日2023年2月23日 |
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「国内残存数ごく僅かの超希少モデル登場・・・!これに乗りたかった・・・!独立チューナー時代のAMGならではの高揚感はまさに格別・・・!!1990年式・ホワイトボディのAMG300Eは、本物オーラ炸裂の一台だった・・・」
懐かしいくも日本で“アー・マー・ゲー”と呼ばれていた時代にこそ、AMGの凄みの本質は存在した・・・。 1970〜80年代、まだ独立したチューナー会社であったAMGが、欧州のレースシーンを席巻し、世界中の注目を集め、熱心な顧客の要望に応じてコンプリートカーを製作し、並行物が日本にも輸入し始められた頃・・・。日本でもその一種独特なオーラを含み、ドイツ語音に“近い”「アー・マー・ゲー」と呼ばれ、異彩を放っていたのを懐かしく感じられる事を、これを読まれる方の中には大勢おられる事と思います・・・。 1960年代、ダイムラー・ベンツの開発部門で300 SEレーシングエンジンの開発に取り組んでいた、“ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト”と、“エルハルト・メルヒャー”の2人のエンジニアは、自社のモータースポーツ参加中止を期に、グロスアスパッハにあるアウフレヒトの家のバックヤードで、余暇を利用してエンジンの性能追求に情熱を傾け続けました・・・。 1966年末にダイムラーベンツを退社したアウフレヒトは、メルヒャーを説得し、グロスアスパッハにあった元工場跡地で共同事業を始めます・・・。1967年、彼らはAMG「アウフレヒト・メルヒャー・グロスアスパッハ・レーシングエンジン・エンジニアリング会社」を設立・・・。その地で改良された彼らのエンジンは、瞬く間にプライベート・レーシングチームの必需品となったのです・・・! 特に1971年のスパ・フランコルシャン24時間耐久レースは圧巻でした・・・!AMGがチューニングした重厚な4枚ドアを持つセダン(AMG300SEL6.8)が、大きな車体で激走し、フォードやアルファロメオというビッグネームが投入した軽量のレーシングカーを引き離し完全優勝を収めたのです・・・!この快挙はセンセーションを巻き起こし、アウフレヒトとメルヒャーは、メルセデス・ベンツ車のチューニングのエキスパートとして名声を確立し、AMGの名は世界中に広まったのです・・・。 1970年代初頭には、約12名の社員で顧客の要望に応じた「ニッチなカスタマイズ」という新たな分野を開拓、AMGに頼むと不可能は無いとまで言われ、AMGは世界中に顧客を抱えるまでに成長して行きます・・・。そんなAMGは1984年に、メルヒャーの開発した技術革新により、1気筒あたり4つのバルブを持つ完全独立型エンジンを開発します・・・。1986年、この技術革新をもとにEクラスクーペに5.0リッターV8を搭載した「ザ・ハマー」を製作・・・。今日に至るまでAMG神話の最も重要なアイコンを誕生させたと共に、メルセデス・ベンツのセダンを高速で走らせる為のチューンナップ技術を、新しいレベルにまで到達させたのです・・・。 この技術を基に、1980年代後半にAMGは、ダイムラー・ベンツと公式レーシングパートナーとして協力し合うようになり、AMGがメーカーのサポートを受けて、W201 AMG3.2で参戦したDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)において、1988年から1993年にかけて、実に合計50勝を挙げる快挙を達成しました・・・。 逞しくも創業期において少ない社員が一丸となり、手作りで必死になって走り抜けてきた・・・。それが80年代後半には「魂のチューニングを施したコンプリート・カー」となって、世界中のエンスージアストの心を震わせた事実です・・・。正統派高級車の雰囲気のあるメルセデス・ベンツとはちょっと異質な、荒々しいイメージ・・・いわゆる、“ちょいワル”と呼ばれるAMGの勢いのあるイメージは、まさに「憧れの対象」として全世界に広まったのです・・・!
「決してお飾りではない・・・。ハンドメイドによるレーシングエンジンチューナー時代のファクトリー・コンプリート・カーは、荒々しくも超希少なオーラを纏い、深い乗り味でオーナーを刺激し続ける・・・。世界中に熱狂的なファンを持ち続けるW124ベースのAMG300Eとは・・・」
取材当日、小春日和の晴天下・・・、ワクワクドキドキだった筆者の目の前に現れたのは・・・、紛れもない合併前の希少な・・・、しかもブラックの個体が大半だった中・・・、非常に貴重なホワイト・ボディを持つAMG300Eでした・・・! 特にこの“3.2Lモデル”は、バブル絶頂期であった当時の日本市場のみに特別に生産されたモデルということもあり、今日海外の目の肥えたバイヤー達が、こぞって本国などへの逆輸入を果たしたモデルで、残念ながら国内残存数は数える程に減少しています・・・。実際に現在海外のマーケットを探してみると、世界各地で「車検制度の最も厳格な日本で走っていた個体・・・」の付加価値付きでAMG 300E 3.2を発見することができます・・・。 このモデルがリリースされたのは1987年・・・、AMGが独立したチューナーの時代、完全ハンドメイドでファクトリー・コンプリートカーを生み出していた時代の貴重な一台です・・・。 AMGは元々3LであったM103エンジンを3.2Lまで拡大した高出力バージョンを、ポート研磨されたヘッドとインテークによるパフォーマンス・トップエンド、バルブトレーンの軽量化、そしてよりアグレッシブなカムへの変更などでチューンナップし、W124に搭載します・・・。このAMGマイスター手作りによる3.2L M103エンジンは、234PSを発生し、722.3型4速オートマチックトランスミッションと組み合わされ、膨大なパワーをスマートに後輪に伝えます・・・。 オーナー様曰く・・・、このAMGチューン3.2Lエンジンは、決してパワーアップのみを図ったエンジンではなく、低速からトルクが湧き起こり、1.5tと少し重いW124のボディを非常にスムーズに加速させる、トータルバランスの非常に良いエンジンであるとの事・・・。右足に力を入れるとレッドゾーンまで一気に吹け上がり、ここには書けない程の速度域まで・・・、環境と度胸が許せば・・・、あっという間に連れて行ってくれる感動があるとの事です・・・!
「貴重なホワイトのボディカラーを持つAMG300E・・・ブラックアウト・・ならぬ、通常のW124ならばクロームメッキされたグリルまでが、ホワイトアウトされた貴重な個体じっくり見て行きます・・・!」
オーナー様はこの道52年というプロのボディショップの社長様です・・・。2009年に入手されて以来14年間大切に乗ってこられたそうですが、以前のオーナーはメンテナンスで来店されておられた旧知の顧客様でおられ、このクルマに関しては、入手のずっと以前からメンテナンスをされてこられ、顧客様が手放すタイミングで自ら購入され、オリジナル同色でのオールペイント含めて、悪い所を徹底して直してこられた、いわば知り尽くした個体との事です・・・。 オリジナル同色ペイントが施された非常に綺麗な一台・・・この個体の概略をまとめると・・・。 1990年 AMG 300E 3.2L ヤナセ正規輸入ディーラー車(AMGジャパン物) AMGコンプリートとしての内容は・・・ ・AMG M103 3.2Lエンジン またこれらを証明するものとして、AMGジャパンのコーションプレート、並びにエンジンルーム内にAMGコーションプレートが確認できます・・・。 フロントにレカロシート・・・リアはオリジナルのレザーシートと不揃いなのは、初期のAMG製である証です・・・。またオーナー様、流石のプロで居られる所で、傷みのあったフロントのレカロシート2座はしっかり張り替えを実施しておられ、現在往年の輝きを官能できる状態になっています・・・。 走行距離は15万キロを超えていますが、この年式になると「距離よりも如何に整備された個体であるか・・・」が重要な所です・・・。 ・AMGマフラーオリジナルにて交換済み などなど・・・ オイル・プラグなど通常メンテナンス項目以外を列記すると、全ては書ききれませんが上記の内容になります・・・。もちろんそれらは全てしっかり残った記録簿で確認できる内容になっています・・・。 また唯一現時点での不具合は、シートヒーターが効かない・・・との事でした・・・。 静止画〜動画撮影まで・・・延々と筆者の作業に、終始笑顔満面でお付き合い頂いた、この道52年のベテラン・オーナー様・・・。 「このクルマの本来の価値がわかる、メルセデス愛好家の方に、未来永劫可愛がって頂ければ・・・」そんなオーナー様の想いをのせて紹介させて頂く次第です・・・。
「1990年式AMG300E 3.2 コンプリート・・・取材後記・・・」
バブル経済最高潮当時、メルセデス・ベンツ560SEが1350万円だった頃・・・AMG300Eはおよそ倍の2600万円程が乗り出し価格でした・・・。憧れ感がまさに神格化したのもこの価格設定にあったかもしれません・・・。 この個体に付属する貴重な当時物のオーナーズ・マニュアルには・・・ これは当時AMGジャパンが、センターコンソールにステッカーを貼り同様に「慣らし運転」を厳守として明示したもので、新車納入から500km毎に、回して良い許容回転数を3000rpmから500rpmずつ徐々に上げて行くもので、最初の1000kmは3000rpmまで、次の1500kmは3500rpmまで、次の2000kmは3800rpmまで、次の2500kmは4500rpmまでと細かく指示、また1000km走るごとにディーラーでの点検を義務付けており、水温が40℃を超えるまでアイドリングを続ける「暖機運転」と、走り始めてからしばらくは高回転域を使わない「暖機走行」を奨励するなどしたものです・・・。 まさに「守れなければ乗るな・・・!」と言わんばかりの内容に、クルマが乗り手を選ぶのが当時のAMGの当たり前であった事がわかります・・・。 だからこそ「特別な憧れ感・・・」を抱くのは決して筆者だけではないはず・・・。 まさに探しても出ない・・・出会いを待つしか無いメンテナンス上々の90年式AMG 300E 3.2 コンプリートカー・・・。 非常に貴重な、本物オーラ炸裂の個体は、本物AMGに憧れ続けて来た、これを読まれる“まだ見ぬ新オーナー様”の普通の日々でさえ、大きく変えてしまう程の衝撃と思います・・・。 「国内残存数ごく僅かの超希少モデル登場・・・!これに乗りたかった・・・!独立チューナー時代のAMGならではの高揚感はまさに格別・・・!!1990年式・ホワイトボディのAMG300Eは、本物オーラ炸裂の一台だった・・・」 是非オーナー様の14年のヒストリーを直接聞きに、東京都近郊都市までお越しください・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 個人間売買のため、消費税や諸費用等はかかりません。 【お問い合わせに際して・・・】 過去の整備記録や修理歴など含めて現オーナー様から詳細ヒアリングを実施、事故歴の有無含めて取材しております。大きな事故歴があった場合、また現オーナー様の所有歴が極端に短く詳細がわからない場合は取材をお断りし、購入されるお客様に可能な限り安心をお届けする工夫を実施しております。 本記事内容は2023年2月23日10時より約3時間の取材時間の中で、オーナー様へのインタビューと、助手席試乗体験並びに頂いた記録簿等の資料を元に執筆作成したものです。 掲載車両に関してのご質問や現車確認のお申込は、このページの一番下よりご連絡下さい。 |
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以上の記事内容は、オーナーさんのコメントをもとに作成したものです。 整備履歴、修復歴などに関しては、エンスーの杜で裏づけを取ったものではありません。 |
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